No.5
丹波生活衣館
丹波生活衣館
は、
古くは 江戸時代後期から昭和40年頃までの、
丹波の庶民が着ていた着物を中心に展示する衣類の資料館。
11/02 丹波生活衣館
「 絵絣‐藍と白の世界‐」
が開催されていました。
「カメラで撮ってもいいですか」 と伺ったところ、
「 だめなんです 」 との返事。
がっかりした様子をしていたら
「 フラッシュ無しで、遠くからなら」 と 許可がおりました。
11/02 丹波生活衣館
丹波で親しまれた木綿絣の着物や野良着の他に、
明治〜 昭和 にかけて織られた絵絣の布団地100点が展示されている。
紺地に白く浮かぶ 鶴・亀・花・城・初めて目にする模様など、巧みな文様がづらり。
11/02 丹波生活衣館
丹波では、河内木綿 などと時を同じくし 江戸時代中期ごろには既に木綿が織られ、明治時代に 全盛を迎えます。
丹波の 農山村の女性が、農事の合間に糸を紡いで織った布を丹波木綿といい、
家族の普段着や布団表などに用いられました。
11/02 丹波生活衣館
しかし、こうした手織りの布は ライフスタイルの変化とともに次第に日常から姿を消していきます。
丹波の女性たちが 苦労して織った布を残しておきたいと、
故
河口三千子
さんが収集された 約 3,600点の布類が、福知山市に寄贈され、
平成14年に
丹波生活衣館
が誕生します。
11/02 丹波生活衣館
「
・・ 糸から作る。そこからは やってみたけれど、棉(わた)を畠で作る、蚕(かいこ)を飼う、 ところからは全くおてあげ。
でも昔の人はその部分からやった。自分の手ですべてをなしとげた。
それより美しく、より大切に誇りを持ってなしとげた。こんな
不思議なことが 信じられるだろうか。
」
川口三千子著
「
生活衣つれづれ
」 より
11/02 丹波生活衣館
ワタ を表すのに
「棉」
と
「綿」
の二つの文字があります。
「棉」は植物としての状態を指し、収穫された種付きの状態までが 棉で、
「綿」は 種を取り除き加工されたものを 綿と書くそうです。
また、ワタは元々一年草ではなく、木だったため「木」へんの 棉 が使われます。
11/02 丹波生活衣館
昔の手作業の道具や行程、当時の様子なども展示されている。
右は、見事な染め絵が施された 掻巻(かいまき)。
その右、
世に知られる 丹波の 縞木綿。
11/02 丹波生活衣館
館内では、機織り機を使って、
織物講習が行われていた。
11/02 丹波生活衣館
丹波生活衣館
駐車場よこに 植えられた 棉。
棉 の 花って黄色いんですね。
花 も実 もワタ も見れて得した
気分で、丹波生活衣館 を後にしました。
11/02 丹波生活衣館
福知山城
丹波生活衣館 の裏手にある。
天正7(1579)年、丹波を平定した
明智光秀
が築城。
明治のはじめ取り壊されたが、 昭和61年、市民の熱意によって三層四階の天守閣が復元された。
望楼からの眺めは抜群です。
11/02 福知山城
カメラ: Canon EOS kiss M レンズ:Canon EFM 18-150mm f/3.5-6.3 IS STM
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