2018.11.17(土)~ 11.21(水)

   ベトナム社会主義共和国

ベトナム中部の フエ、ホイアン、ダナン、そして ミーソン遺跡 を訪れる。
ベトナム中部には、4つの 世界遺産:①フエの建造物群 ②ホイアンの古い街並み ③ミーソン遺跡 ④フォンニャケバン国立公園 があり、なかでも、ベトナム最後の王朝があった フエは、1993年に
ベトナムで 最初 に世界遺産に登録されている。
今回は、ホイアンにある日本人が建てたとされる来遠橋が、造られてから400年以上経過し 老朽化 も進み 解体の恐れがあるらしく、建設当時の橋を見ておきたくて出かけていきました。
        ベトナム の 世界遺産 8つ
ベトナム北部  ①ハロン湾  ②ハノイのタンロン皇城の中心区域
        ③チャンアンの景観複合体  ④胡朝の城塞
ベトナム中部  ⑤フエの建造物群  ⑥ホイアンの古い街並み
        ⑦フォンニャ=ケバン国立公園  ⑧ミーソン聖域

            年 表

 



フ エ

1802年から1945年まで13代続いた 阮(グエン)王朝 の都が置かれていた古都。ベトナム最後の王朝 阮(グエン)朝 が栄えたこの街には、バラエティに富んだ建造物が多数残されている。
″賞賛すべき建築上のポエムである" と言われる 建造物群は 1993年世界文化遺産に登録されている。

阮朝王宮

ベトナム版
    ラストエンペラー!


ベトナム最後の王朝
  阮朝(グエン朝)王宮
        への入り口。





フラッグタワー

1809 年のザーロン帝 の時代に作られた三層の台座を持つ旗塔。

ベトナム戦争や天災の被害を受けて 何度も破壊されたが、1969年に 鉄筋コンクリートで再建された。






門を潜って最初に見えてくるのは、4門の青銅製の大砲。


春、夏、秋、冬を表わしているらしい。






阮朝王宮

王宮門(午門、ごもん)

鳳凰が翼を広げ、舞い降りた姿を映した 午門(正門)。

正午になると太陽が門の真上に来るように設計されている






朝、8時半過ぎごろのこと。

門が開いたので
    大急ぎで 近づく。

衛兵の交替式 らしい。。。







交替式は、あっという間に 終わり、右側の門に消えた。

中央の門は皇帝専用の入口。
向かって右(右夾門)が 文官
向かって左(左夾門)が 武官 のための入口。





阮朝王宮


午門(ごもん)の裏側。








午門を抜けると左掖池と右掖池に挟まれた道が現れる。

池には 鯉がいっぱい。
ガイドさんに餌をもらって皆で餌やりをする。










大和殿の前庭の獅子。

左右にある。






阮朝王宮

大和殿

午門 を入ると正面に見える。

北京の紫禁城を模して造られた宮殿で、皇帝の即位式などの朝儀が行われた。
     (中は撮影禁止)




太和殿を抜けると広い広場がひろがる。

建物の多くは ベトナム戦争中の1968年にテト攻勢で完全に破壊され 現在再建されている のはこの太和殿と 歴代の皇帝の世廟などで 再建は今も続いている。






向かって左が右廡、右が左廡になり、こちらは向かって右側の建物・左廡。

王朝についての展示スペースになっている。






阮朝王宮


王宮の中はとても広い。

午門からは出れないので東門に向かう。









城壁の外には濠がめぐらされている。











退場は、王宮の東にある
   東門「顕仁門」から。







シ ク ロ


王宮見学の後、シクロに乗る。

まじかに人々の日常生活が見える





道路事情

信号はあって 無いようなもの。
いつ事故があってもおかしくない
自動車も、バイクも、自転車も、
 自由に!!   大胆に!!
 ヒヤヒヤ!!  ハラハラ!!









走り出す前の様子。

まだ 怖さが わかっていない。







ティエンムー寺

1601年に建立されたフエ最古の寺院で、

フエの町を 横切り流れるフォーン川 に面する丘の上に 建てられている。



慈仁塔(トゥニャン塔)

高さは21.24mで 8角形7層の塔は 仏教で悟りを意味する 蓮を象っていて 各階には それぞれ仏像が 安置されている。





ティエンムー寺


中国風の門

別名「天女の寺」とよばれていて この門の上には 天女像が 祀られている。




ティエンムー寺院を漢字で書くと ティエンは 、ムーは

ある老婆が "いずれ支配者がここに現れ 塔を建てるだろう″と予言したという伝説があり、
その老婆は実は天女ではないか ということから「天女の寺」という 通称が付けられたらしい。





大雄殿(ダイフン殿)の境内。

釈迦を祀った典型的な 仏教寺。

境内には見事な盆栽がいくつもおかれている。

何だか、盆栽寺のよう。




ティエンムー寺

オースティン と 不滅の心臓
ベトナム戦争中の1963年6月11日
この寺のティック・クアン・ドック僧侶が 仏教徒に 対する高圧的な政策に対し 抗議するためにサイゴン(現ホーチミン)まで車で行き、アメリカ大使館前で  自らガソリンをかぶって焼身自殺を行なった。

この車は、僧侶がサイゴンまで乗って行った車。
焼け残った心臓(僧侶の体は焼け落ちる)の写真も 展示されている。

            写真はネットから




ドラゴンボート

ティエンムー寺のすぐ下を流れるフォーン川

ドラゴンボートに乗って 30分 の遊覧。





観光ボートは家族経営で小さな 土産物屋になっていてこのボートで生活をしているらしい。
おばさんが頻りと土産物を売って廻る。

しばらく行くと豪華な舟がやって来た。これぞまさしくドラゴンボート






フォーン川には屋根付の小舟で一生を送る水上生活者が多く住んでいるが、フエ市当局は精神生活と 文化生活の向上を理由に 水上生活者の陸上への転居を推進しているらしい。





車窓から


バイクに乗ったカップル。

手にはお花をもっていて果物も買うらしい。





果物屋。


美味しそう~~。  

ちょっと触ると全部崩れてしまいそう~~。

店の奥は金物屋?かしら・・・







ブーゲンビリアの花が見事。

おばさん、安くしといて~~。







カイディン帝廟


阮(グエン)朝 第12代皇帝
カイディン(啓定)
を祀る。

入り口から120段の石段を上がっていく。






テラスから見渡す山の景色も素晴らしい~~。


建物の外面は、コンクリートを使っているので 黒ずんでいて地味な印象がする。





碑 亭

二層づくりで八角形をしていて 中には石碑が置かれている。

カイディン帝は 阮朝最後から2番目の帝で、晩年はフランスに亡命していたらしい。





カイディン帝廟

啓成殿

フランス統治下という 時代背景も影響していて東洋と西洋の折衷様式の廟である。







中国の影響も 強く残っている。

兵馬俑に似た役人、象や馬の像が並び 霊廟を守っている。









階段の手摺には、当時は貴重品だったセメントで作られた 龍が飾られて、目が 緑色に光っているのもある。






カイディン帝廟

啓成殿

天井には素晴らしい龍の絵がひろがっている。

9匹の龍が描かれているがベトナムで「9」は 10進法で一番大きい数字ということから、完全を象徴する最高位の数字になる


帝廟内部には、金箔を押した青銅のカイディン帝等身大の像がある。

この煌びやかな王座の約9m下に皇帝の遺体が安置されている
帝廟と同じ場所に遺体が埋葬されているのはカイディン帝のみらしい。



天井と壁面に、中国や日本の磁器やガラスの破片をはめこんだ装飾が施されており、煌びやかなものとなっている。


帝陵建築のため 税金を20%アップし、国民の反感を買ったが 側室は10数名と少なく、子供は 1人で自己愛も強かったとか。








ホ イ ア ン

ベトナム中部 トゥボン川の河口に位置する 古い港町。 江戸幕府との朱印船貿易も盛んで16~17世紀頃には、ホイアンに大規模な日本人町が作られた。

その後、ホイアンでは大火があり、現在の街並みはすべて19世紀以降のものになっている。 黄色味がかった壁とカラフルなランタン、そして中国式の建物が点在する 古い街並みは 1999年 世界遺産に登録された。




来遠橋(日本橋)

名前の由来は、

朋あり遠方より来たる、
      また楽しからずや


という論語から 後で名付けられたとされている。

淡い光に照らされて美しい!!




1593年に 日本との友好関係の象徴として、当時ホイアンにいた日本人たちが架けたとされる瓦屋根付きの 太鼓橋で、ホイアン旧市街の水路に架かる。

1633年、徳川家光の時 鎖国政策が始まり東南アジア方面への日本人の渡航及び帰国が禁じられた。

当時 1000人ほどいたとされる日本人は、帰国できたのか、残らざるをえなかったのか分っていない。





来遠橋(日本橋)


観光客が多くて大変。

もっと引いて全景を撮りたいのに。。。





橋の入り口には敷居が設置されているが、自転車やオートバイなら引いての通行が可能。

現在でも 市民が 日常生活に利用している。

橋の中には、カウ寺 という小さな寺がある。





現在の 来遠橋 は 1986年に 修復されたもの。

屋根の装飾を見ると中国風のようにも見える。

反対側の入り口から見る。





来遠橋(日本橋)

カウ寺

来遠橋と描かれた額。

その下の丸い彫刻は、魔除けの意味があるらしい。








由緒ありそうだが、何が書かれているのかしら。








カウ寺の壁にかけられた
    来遠橋 の古い写真

カウ寺の小さな 祭壇


幅3m、長さ18 mの橋は、あっという間に渡り終えてしまう。





来遠橋(日本橋)

申年に建築が始まり戌年に終わったことから申と戌の 木像が置かれている。






3枚の画像は ベトナム ガイ ドブック から


来遠橋(日本橋)


幅3m、長さ18mの陰陽の瓦屋根と「双竜争玉」の龍の姿をした太鼓橋。







2万ドン紙幣 表






2万ドン紙幣 裏






来遠橋(日本橋)

橋の中から。 

小さな橋の向こう側を流れるのは トゥボン川








現地の人ではなさそう。

アオザイを着た観光客??

PR 写真の撮影??









橋の中の寺から、反対側の
景色を撮る。







来遠橋(日本橋)

フーンフンの家

約200年前に建てられた貿易商人の民家。

今も子孫が暮らしている。








雑談する店先の若者。

笑顔がいいですね。









路地の風景。

土産物の店、テーラーシルク屋などが並ぶ。






ホイアン旧市街

大好きな 景色。

奥に庭があり その奥にも建物がある。


ホイアンの商家は細長く建てられていてその平均的な奥行きは30mもあるそうです。





ホイアン旧市街

1999年に世界遺産に登録されている。

中央の花台付き立て札は、歩行者と自転車のみと書かれているらしい。







チャンフー通り



朝の風景。










地元の人かしら。


素敵なアオザイですね。







ホイアン旧市街


チャンフー通り

レトロな黄色い建物 と、
ブーゲンビリアの花と、
若い女性観光客と、
素敵~~~。







ランタン(提灯)を売る店。


店構えがいいですね。









屋根の花が素敵。


花の名前は。。。

ガイドさんに聞いてみたが
答えは帰ってこなかった。







ホイアン旧市街


チャンフー通り

陶器で作られた笛を売る
オバサン。









貿易陶磁博物館 の二階から通りを見る。











野菜 果物を売るオバサン

ノンラー(傘帽子)がよく似合いますね。






福健会館

約250年前、福建省出身の 華僑が集うための場所として 造られた建物。

これは 中門







中門をくぐり進んでいくと 中庭とお堂がある。

お堂の中には航海・漁業の守護神である 天后聖母(媽祖)の祭壇がある。








中国寺院では、おなじみの渦巻線香が天井から吊り下げられている。







夜のホイアン

川沿いの バクダン通り から 対岸を見る。

ライトアップされた建物が水面に映り、幻想的な風景となっている。






バクダン通り沿いも とても華やかで 色とりどりのランタンをはじめ ホイアン雑貨や服飾 刺繍製品など観光客向けの露店が並んでいる。








ランタンの光が照らすナイト・マーケットは、
数十軒もの屋台が並びまるで祭りの縁日のような光景が広がっていた。







夜のホイアン


チャンフー通り

夜になると街は 一気にランタンの光に包まれる。

昼も、夜も、素敵~~~





毎晩ナイトマーケットが開催されているらしい。

人々は、かわいくてエキゾティックなランタンの光に誘われるようにくり出してくる。









通りは人で溢れかえっていて昼間の顔とは全く違った雰囲気となりとても懐かしく癒される。







ホテル


ホイアン郊外にある

ホテル・
  リトル ビーチホイアン


         の夜景










昼間のホテル。


連泊する。









クアダイビーチ



宿泊ホテルから歩いて5分で クアダイビーチ に着く。








目の前は、南シナ海
朝日が美しいらしい。

地元の家族連れかしら。
観光客かしら。











海辺沿いの素敵なホテル。










ミーソン遺跡

7世紀から13世紀にかけて栄えた チャンパ王国 の聖なる遺跡。
ミーソン遺跡は、チャンパ王国の聖地として、王とシヴァ神を祀るために4~13世紀の間継続的に建設 されていた。東南アジアにおいて、900年もの間こうした宗教建築が継続的に造営されることは非常に 珍しく、ジャングルの中にたたずむ姿が、神秘的な レンガ造りの遺跡群となっている。

ミ-ソン遺跡


遺跡の入り口付近。











入り口から100mほど舗装された道を歩くと橋が現れる。











橋に架けられた巨大なレンガの門をくぐり進む。







ミーソン遺跡


橋を渡り切ると次は電気自動車に乗り5分ほど走る。









さらに山道を10分くらい歩く

遺跡は、四方を山に囲まれて北に 聖山マハーパルヴァタがそびえる 盆地の中央にある。









右も左も広大な自然に囲まれた 一本道を進む。

遺跡が見えてきました!!






ミーソン遺跡



ミーソン遺跡群です!!






風格ある建造物があちこちに

古代ヒンドゥー教のチャム族は 歴代王朝が代わる度に新しく 祠堂を建てたらしい。

もうすでにたくさんの観光客が来ていて狭い場所ではぶつかりそうになる。







現地ガイドのAさんはガイド歴6ヵ月で 肝心の日本語があまり喋れない。

なので 説明もほんの少し。
なので ひたすら写真を撮る。





ミーソン遺跡


密林に覆われたジャングルのあちらこちらで、祠堂が次々に発掘されている。








建造物には、レンガの間にセメントや漆喰などの接着剤を使った形跡が全く無い。

すごく不思議 !!!









結構大きな建物も多く、建物の陰に入ると一瞬涼しい風が通りすぎてゆく。






ミーソン遺跡


1960年から始まった ベトナム戦争で中部地方は軍事基地があったため激戦区となる。








ここ ミーソン遺跡でも多大な被害を受け、

歩いていると、戦争の爪痕を見ることができる。








戦争や自然崩壊により初期の建築物は残っていないが、

後期に建設された70以上もの遺跡が現在も残っている。





ミーソン遺跡


祠堂 の外観。










美しい レリーフがずらりと並ぶ。。











ミーソン遺跡は、レンガをずらして建てる方法で内部空間が広く造られている。





ミーソン遺跡


チャム族の文化や 古代文字などは、いまだに謎 に包まれている。









魅惑的な ヒンドゥー教の
        レリーフ。









ヒンドゥー教遺跡でよく見かける男性器と女性器の象徴である リンガ と ヨニ。

合体しているのは子孫繁栄を意味し 現在ではこれに触ると妊娠できると言われている。





ミーソン遺跡


いくつかの 祠堂内部に入ることができる。









内部では、ミーソン遺跡で発掘された遺産が 所狭しと展示されている。











発掘品は、欠けてしまっているものが多い。






ミーソン遺跡


一般公開されている 祠堂の内部。


ヴィシュヌ神の像?


何かよくわからない





ミーソン遺跡


チャム族伝統舞踊ショー










ミーソン遺跡内で 1日3回 チャム族の伝統舞踊が鑑賞できる。










ミーソン遺跡の入場料を払えば 無料。








ダ ナ ン

16世紀 南蛮貿易がが盛んに行われた頃、ダナンは、小漁村に過ぎなかったが、ホイアン港がトゥボン 川の堆積で使用できなくなったため ダナン港が成長し始め、ついに19世紀中ごろには、ベトナム中部 最大の港となる。ベトナム戦争後は ダナン市に 空港・港湾・倉庫・銀行・工場などが次々に建設され 大規模な産業都市に発展する。
2017年には 関空から直行便も就航し、ハノイ、ホーチミンに次ぐ 第3の都市として栄えている。

ドラゴンブリッジ


ハン川を越え 海に向かって体をうねらせ 進むかのように造られた 黄金色の龍。








全長666m、高さ37.5m。

ダナン開放記念日となる 2013年3月29日に開通。









車の中から 連写する。

ドライバーさ~~ん
ゆっくり 走ってぇ~~~






DHC マリーナ


2015年、ダナンの中心部を流れる ハン川 沿いに誕生した。





上、シンボルの 白い像 は、
中国の故事 "登龍門” に由来 体 は鯉、頭 は龍の形をしている。

ドラゴンの頭は結構な迫力

週末の夜になると、口から を噴くらしい。






DHC マリーナ の遊歩道は  ドラゴンブリッジの全景が見れるように整備されていて、カフェやレストランも充実している。





ドラゴンブリッジ


ドラゴンブリッジ
     別名 ロン橋






緑色にライトアップされた
ドラゴンブリッジ

残念!! 
丁度 頭の部分が、手前の高いビルで見えない。






黄色から緑色に。
反対かな。
緑色から黄色に変身する。


口からを噴くところ
見てみたかったぁ~~~




二度目のベトナム。一度目は8年前で、ハロン湾、ハノイ、バッチャン村。ハロン湾の素晴らしい景観 に感動したのを憶えています。今回は中部で、フエ、ホイアン、ダナン、ミーソン遺跡です。
撮った1000枚を超える写真と、色んな資料をにらめっこしながらの作成で、誤った記載があるかと思 いますが、気楽な旅行記 と思ってお見逃しください。
 資料によると・・・・・
ベトナム戦争当時、ベトナム中部にはアメリカ軍の駐留地が置かれ 激しい戦闘が繰り広げらる。特に
1968年のテト攻勢では、中部一帯、特に フエ などは 壊滅的な破壊が行われた。 とあります。
1975年ベトナム戦争終結の後、フエの建造物群が世界遺産に登録される 1993年まで僅か18年です。 18年間で再建して世界遺産に登録されるなんて驚異です。ベトナム人の凄さと底力を感じます。
8年以上も戦って、アメリカに 勝利したんですから。本当に凄いですね。   2019.01.15 更新


ネット上の記載文二つ 紹介します。
・『比較的新しいフエの建造物群には 歴史的に高い価値があるとは言い難いという見方がある。』 
・『考古学的価値がより高いと思われるミーソン聖域よりも先にフエの建造物群が登録されたことや  北ベトナムよりも先に中部ベトナムの文化遺産が登録された点には、ベトナム政府の政治的意向が  関与している可能性が 指摘されている。』


撮影 Canon EOS Kiss M  &  Nikon COOLPIX P610     ホーム    ページトップヘ    






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