ベトナム中部の フエ、ホイアン、ダナン、そして ミーソン遺跡 を訪れる。 ベトナム中部には、4つの 世界遺産:①フエの建造物群 ②ホイアンの古い街並み ③ミーソン遺跡 ④フォンニャケバン国立公園 があり、なかでも、ベトナム最後の王朝があった フエは、1993年に ベトナムで 最初 に世界遺産に登録されている。 今回は、ホイアンにある日本人が建てたとされる来遠橋が、造られてから400年以上経過し 老朽化 も進み 解体の恐れがあるらしく、建設当時の橋を見ておきたくて出かけていきました。 |
|
|
1802年から1945年まで13代続いた 阮(グエン)王朝 の都が置かれていた古都。ベトナム最後の王朝
阮(グエン)朝 が栄えたこの街には、バラエティに富んだ建造物が多数残されている。
″賞賛すべき建築上のポエムである" と言われる 建造物群は 1993年世界文化遺産に登録されている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() 3枚の画像は ベトナム ガイ ドブック から |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
7世紀から13世紀にかけて栄えた チャンパ王国 の聖なる遺跡。 ミーソン遺跡は、チャンパ王国の聖地として、王とシヴァ神を祀るために4~13世紀の間継続的に建設 されていた。東南アジアにおいて、900年もの間こうした宗教建築が継続的に造営されることは非常に 珍しく、ジャングルの中にたたずむ姿が、神秘的な レンガ造りの遺跡群となっている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
16世紀 南蛮貿易がが盛んに行われた頃、ダナンは、小漁村に過ぎなかったが、ホイアン港がトゥボン
川の堆積で使用できなくなったため ダナン港が成長し始め、ついに19世紀中ごろには、ベトナム中部
最大の港となる。ベトナム戦争後は ダナン市に 空港・港湾・倉庫・銀行・工場などが次々に建設され
大規模な産業都市に発展する。 2017年には 関空から直行便も就航し、ハノイ、ホーチミンに次ぐ 第3の都市として栄えている。 |
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
二度目のベトナム。一度目は8年前で、ハロン湾、ハノイ、バッチャン村。ハロン湾の素晴らしい景観
に感動したのを憶えています。今回は中部で、フエ、ホイアン、ダナン、ミーソン遺跡です。 撮った1000枚を超える写真と、色んな資料をにらめっこしながらの作成で、誤った記載があるかと思 いますが、気楽な旅行記 と思ってお見逃しください。 資料によると・・・・・ ベトナム戦争当時、ベトナム中部にはアメリカ軍の駐留地が置かれ 激しい戦闘が繰り広げらる。特に 1968年のテト攻勢では、中部一帯、特に フエ などは 壊滅的な破壊が行われた。 とあります。 1975年ベトナム戦争終結の後、フエの建造物群が世界遺産に登録される 1993年まで僅か18年です。 18年間で再建して世界遺産に登録されるなんて驚異です。ベトナム人の凄さと底力を感じます。 8年以上も戦って、アメリカに 勝利したんですから。本当に凄いですね。 2019.01.15 更新 ネット上の記載文二つ 紹介します。 ・『比較的新しいフエの建造物群には 歴史的に高い価値があるとは言い難いという見方がある。』 ・『考古学的価値がより高いと思われるミーソン聖域よりも先にフエの建造物群が登録されたことや 北ベトナムよりも先に中部ベトナムの文化遺産が登録された点には、ベトナム政府の政治的意向が 関与している可能性が 指摘されている。』 |